2011年04月の記事一覧
2011年4月某日、旭川動物園に行きたいと思い、旭川ドライブに行ってきました。

出発当日、釧路は雨!!
出だし最悪の中出発しました
。行きは白糠〜本別〜士幌〜層雲峡〜旭川で行きました。ただ、4月の終盤だというのに残雪があり
、特に三国峠では雪が積もっている状態でした。
ようやくの事、旭川にたどり着いたのが3時30分くらい。出発が8時30分だったので、かなりかかったような気がします。
しかも、いざ動物園の場所をと調べていると、4月1日〜28日までは休園になっていて、僕は茫然としました。
目標を見失ったので、今回は層雲峡に宿泊(夜のビンゴ大会で、なんと愛別町のキノコ一式をゲットしました。
)し、旭川〜美瑛〜富良野と経緯して帰ってきました。途中旭川の“The SUN 蔵人”、“科学館サイパル”“トリックアート美術館”、“富良野デリス”などの菓子店や有名館を見て帰ってきました。


全国に層雲峡だけ!という話の「黒いセブンイレブン」これも層雲峡名物?

愛別町のキノコをゲット!!

これ、絵画なんです。絵です。絵。トリックアートです。わかります?
帰省途中に美瑛に寄りましたが、やっぱり美瑛の丘はきれいで心が和みますね。

普段の仕事の疲れも癒え、また明日からがんばれそうな感じがしました。
写真の料理は、美瑛のバーチという店で食べたトマトとホタテのパスタ、ビーフシチュー、アンチョビピザです。美味しかった〜。

(車でも・・・走りつづける薬剤師)
2011年04月30日
4月27日(水)全職員会において、全日本民医連による東日本大震災薬剤師支援の報告会を開催しました。
支援は4月4日から10日まで
支援先は宮城県塩釜市の坂総合病院の門前にある「つばさ薬局」。
支援内容は調剤業務の支援と医療スタッフと共に避難所への訪問です。
参加した薬剤師から、支援先での被災地の状況や被害にあわれた患者さまの声など、写真を示しながら、詳しく報告されました。
実際に現地で目にした被災の様子、被災された患者さまや避難所で聴いた痛ましい体験と辛い思い、それでも前に進もとする方々のたくましさなど、皆に伝えたいことがいっぱいでした。
報告を聴いた後、「東日本大震災から思うこと」について、2つのグループに分かれて、みんなで話し合いました。
「連日放送された、津波の様子にとても辛く、悲しい気持になった」
「自分も何かしたい、何ができるのか考えさせられた」
「長引く避難所生活。早く何とかしてあげて」
「原発事故の対応に腹が立つ。政府と東電による人災」
「これから日常生活を取り戻すことが大切、でも地域ごと流されて、生活、雇用、暮らしが元に戻るには大変な時間とお金がかかる」
「弱い立場の人を復興の流れから取り残されないようにしよう」
「あらためて、生きるということを考えさせられる」
「今、私たちに出来ることを考えよう」
様々な思いが語られました。
私たちにできること・・・・
患者さま、地域の方々の健康を守り、安心して暮らせる街づくりのために、日常活動をしっかり進めること。
そして、復興支援に向けて、一人ひとりが小さな一つでもいいから、出来ることを続けることが大切。困難を共有し合うことから始めよう。
そんな意見が出されました。
(Y)
2011年04月30日
4/4から4/10まで宮城県へ震災支援にいってきました。
『薬剤師として』何か被災地で少しでも力になれることがあれば・・と思っていても
職場の理解、組織としての保障がなければできないことです
ここ『はるか薬局』では、体制を保障していただき、私は道東ブロックの一員として支援に参加することができました(3名で)
4/4釧路駅で社長の見送りをいただき元気に出発
4/5昼仙台到着、さっそく『つばさ薬局』で初めての調剤業務を

�@写真 道東ジャンボリーで送った激布(つばさ薬局にて)
震災後1日も休むことなく、電気、水道が止まっていても営業を続けていたとのこと。私も他の支援者と一緒に1日700枚の処方を、何とか迷惑をかけないよう(?)頑張って調剤しました。
直後は被害が大きくて営業出来ない薬局もあり、かなり多めの処方箋をうけていたようです。
翌日は医療チームの一員として、医師、看護師と一緒に薬をもって避難所訪問(小学校でした)へ。持っていく薬は風邪薬を始め、一部の薬ですが、ミニ診療所を作り診察を行い、ラウンドなども行い被災者の話を聞くことができました。
咳を訴える方が多く、集団生活なので周りを気にされ、夜は車の中で寝ていると話された方もいました。伺った避難所は配食も1日2回で午前10時30分過ぎと夕方4時位でした。食パンと菓子パン、飲み物程度でした。
6日と7日は薬局のカウンター業務を、震災の状況をまずお聞きするところから対話を開始。
�A写真 七ガ浜
『家の車が3台とも流された』『家が住めない状況』『高いところだったけど、ほんの数百メートル先まで津波が押し寄せた』など
『身内が津波で亡くなられた』とつらい話をされた方も・・・このままお聞きしてよいのか・・・(絶句)
『仙台弁』『浜ことば』で??との会話もあり、ほっとさせられ、あたたかい気持ちに
腕章をみて『北海道からきてくれたのかい?』と励ましの言葉も頂き
会話も弾み、2日間は『つばさ薬局』の職員と同じような気持ちで仕事をさせていただきました
4/7の夜11時32分の大きな余震にはビックリ!!かなりの横揺れ、震度6でした。
私はクリニックの6Fの支援者宿泊場所にいました
停電の中、声をかけあい支援者は全員外へ避難
�B写真 余震で外へ避難
何と『被災地支援で被災!!』してしまったのです
すぐに病院職員と一緒に『トリアージ』開始
緊迫した雰囲気の中、救急の医師の指導のもと必要配置に
津波警報解除でようやく夜中の2時過ぎに、一部職員を残して解散
�C写真 トリアージ
翌日は電気も、水道も止まっているなかでの薬局業務、貴重な初体験でした
全部手作業、それでも約400枚の処方を調剤『すごい!!』と思いました。
窓にビニールをはり少しでも明るくしての『薬お渡し』風景でした。業務終了時PM5時に電気が復旧した時にはその明るさに感動!
たった1週間の支援でしたが、多くのことがありました。カウンターでの会話は深く心に刻まれました。元気そうに話された方が多いように思えましたが、本当に大変なのはこれから復興にむけての長い期間。地道な支援活動が続けられていくように・・・
私達にできること、それは被災地の方に、応援しているよ、これからも応援するよというメッセ―ジを伝えること、思いをうけとめること位しかできないかも・・
北海道からのメンバー8名が同じ場所で宿泊を、まるで合宿のようでした。
別れ際に、ある看護師が私に『このメンバーのことは一生忘れない!』とポツンと♪・♪
最後に『東北を応援するお菓子』をたくさん購入、皆に食べてもらうことができ、
体調をこわすことなく支援終了できたことに感謝!します
�D写真 北海道からのメンバー
ジョギングT・T
2011年04月28日
4月17日(日)気温6℃昼前に雪が降ってきました。
ビックリ、例年よりちょっと早い山菜のシーズンになりました。
この斜面の下には雪があります、釧路市内でもこんなところが有るんです。だーれも来ない所で一人モクモクとニタニタしながらバケツ一杯位の収穫です。
腰も痛くなり飽きてきたのでやめました。来週は最盛期を迎えそうです。
緑に見えるのが全部行者ニンニクです。絶景だなー。
(なんでも出来ちゃう薬剤師 H.I)


2011年04月25日
今は地震に原発の事故と大変由々しき事態の時に不謹慎かもしれませんが、このブログを見ている方が楽しい気持ちになれるように書きたいと思います。
2011年4月某日、気分転換を兼ねて車でドライブに行きました。
朝は7時出で、目的は羅臼の名所、光コケを見に行くことでした。ただ、羅臼に行くだけでは時間が余るので、中標津や野付半島にも寄りました。ルートは釧路〜中標津〜野付半島〜羅臼。
釧路の天候は晴れ!!
快調な滑り出しでした。途中ほとんどどこも寄らず(時間的に早かったのもありますが…)、いきなり野付半島にある野付半島ネイチャーセンターに行きました。着いてみたら野付半島〜羅臼はなんと雪!!
風もあり大変寒かったです。それと両側が海に面していて、なんとも不思議な感じでした。
その後、標津町のサーモンパークで鮭を見に行き、羅臼町へ。
羅臼も雪が結構降っていて、風も強くて寒かったです。ただ、道の駅(知床・羅臼)で食べた「ハモ丼」はすごく油がのっていておいしかったです。
写真はないのですが(お腹が減りすぎてて撮るのを忘れた)、ぜひ羅臼に行った際は食べてもらいたい一品ですね。
腹ごしらえ後、いざ目的の光コケ(マッカウス洞窟)へ。
洞窟について、中を覗いてみると、な〜んと氷柱がずらりと並んでました。
肝心なコケは?って探してみましたが、良くわからず…。結局わからずじまいで写真撮ってきました。(後にわかったことですが、冬の時期コケは見れずに「氷筍」というのが見れるみたいです。ただ、観光協会の写真とは違いましたが…)
残念に思いましたが、冬の羅臼の名物を拝見できたし、満足して羅臼を後にしました。
帰りには中標津町にある「ラ・レトリ」という飲むヨーグルトやアイスクリームで有名なお店でソフトクリームと甘酒・ピーナッツジェラートを堪能して釧路に戻ってきました。

羅臼の光コケはまたリベンジしたいと思います。
走れる薬剤師
2011年04月07日